おにぎり握るように愛してくれない?

キラキラした男の子達のこと

想い出は永遠のチケット

ichigonokimi.hatenablog.jp

 

 主催者様をはじめ、前回参加された方々の作品も拝見し、改めて素敵な企画だなあと思いましたので、今後の益々の発展を祈って微力ながら今回も参加させていただくことにしました。

 今回のお題が「チケット」ということで、なにを書こうかと迷っていた矢先にあの出来事が起きました。当事者でも該当担でもないけれど、やっぱりあまりに大きな出来事すぎて。生意気ながら、それを踏まえた形になってしまったことをご了承ください。

 

 

 アイドルに会いに行くとき、必ず必要なものがチケットだ。チケットは彼らに会うための通行証であり、その半券は彼らに会えたという事実を物語ってくれる唯一の物証である。アイドルとそれを応援するものの間に必ず立ちはだかるこのチケットという紙切れは、両者の立場を区切る為になくてはならないものだ。アイドルは夢を売り、それを我々はお金で買う。チケットを手にする度に突き付けられる現実。これなしでは彼らに会うことは許されない。

 彼らに会いたい、と思って我々はチケット争奪戦を必死で乗り切る。その一方でふと、彼らは私たちに会いたいのだろうか?と思う。「会いたかったぜ東京ー!!!」という言葉を大きな声で叫ぶ彼らは、そんなことを心から思っているのだろうか?と。

  アイドルを生業としているひとたちにとってファンはきっと大切なものであるはずだ。ファンはアイドルがアイドルでいるために重要な構成要素のひとつであるからだ。しかし、ファンの存在は、アイドルにとって重要な構成要素であるのと同時に、一種の業である気もする。自分がアイドルでいる限り、ずっとファンはついてくる。その時の人気によって規模は違えど、自分の一挙一動を事細かに見ている人間が何万人もいる。その異様なプレッシャーが、アイドルを潰してしまわないのか、そこから逃げ出したくなってしまうのではないか、と。

 東京ドームのスポットライトの下に立てる人間なんてこの世の中で一握りしかいないのに、そこから身を引こうとするアイドルを、誰一人として引き留めることができなかった事実を突きつけられて、そんなことを考えた。

 私の応援するKis-My-Ft2には「永遠のチケット」という曲がある。勝手な解釈にすぎないが、この曲を聴くといつも少しだけ安心する。この曲の詞が、アイドルにとってのファン、ファンにとってのアイドルというものの理想形である気がするからだ。

「またね」「今度ね」「ありがとう」「最高」と

言葉達がくれた この勇気が 輝きになるから

  自分の想いや言葉が、重荷ではなく、彼らが輝くためのものになってくれているといいなと思う。たかだか他者が作詞した歌のワンフレーズにしかすぎないと言ってしまえばそれまでだけど、彼らがそれを少しでも糧にしているのならば、微力だけれど、届いているという確証はどこにもないけれど、それでも「ありがとう」と伝えたい。だから会いたい。その為にチケットを取る。彼らに会うための唯一の方法が、それしかないから。

 スポットライトから身を引くことを決めた彼の、本当の理由も、その後のビジョンも、いまだ明らかにされていない。彼は未来を保証されたデビュー組というポジションに身を置きながら、アイドルであることに終止符を打つ決断をした。ファンの想いや言葉が、彼にとっての糧ではなくなったということなのか、それは本人にしかわからない。ただ、その想いや言葉を伝える場に、今後一切立たないという選択を彼がしたのは事実だ。ファンの想いや言葉が、彼の輝きにはつながらない。そもそも輝く彼を見続けられるかどうかさえ宙ぶらりんのままだ。彼に会うためのチケットは、今後一切この世の中には発行されないかもしれない。こちら側が会いたい、と心から願っても、その思いが果たされない未来がすぐに訪れてしまう。それは彼を応援していた人はもちろん、四人の形を愛していた人たちにとっても切ない現実だと思う。当事者でない限り、その気持ちを理解できるはずもないし、もし自分の担当だったらと重ねて悲観してもきりがないのはわかっている。でもただただ苦しくて切ない。

「すぐに また会えるように」

想い出は 永遠のチケット

 「永遠のチケット」の最後のフレーズ。本来の歌詞の意味はきっと『次に会えるときまで、今日の想い出の中の僕らを思い出して、待っててね』というようなものだと思う。

 想い出は、確かに、いつでも彼らと会えるチケットだ。

 でも、想い出❝だけ❞が彼に会うための唯一のチケットだなんて、あまりにも切ない。