おにぎり握るように愛してくれない?

キラキラした男の子達のこと

クリエという布石から考える萩谷と安井

シアタークリエというキャパシティ700程度の小さな劇場で、4月~5月にかけて、人気ジャニーズJr.たちによるセルフプロデュースの公演が行われます。A~Jに振り分けられたジュニアの組み合わせは、色々と邪推するには持って来いの好材料です。

 公演の順番=アルファベット順ではない点が、個人的にはとても引っかかります。邪推にもほどがありますが、これがいわゆる事務所が推している順番なのではないか、と感じてしまうのです。SexyBoyzというくくりすらなくなって、デビュー組のマリウスを差し置いて「A」を任されるJr.の存在が、あまりにも大きい。なにより「A」で始まり「A」で終わるこのジャニーズのお祭り。なにもないはずがないじゃん!?と思ってしまうのがオタクの性ではないでしょうか。というかもう「B」の名前順ですら気になってしまう。なんでマリウスよりジェシーが前?トラジャがトラジャとして公演を行わないこともとても気になる。兄組はMAD、MADEとの合同で、弟組のみ単独で公演を打つのはどうしてだろう、トラジャという名前を使いたくないのか…?空中分解させる気か…?などなど。たくさんの邪推ポイントがあります。いくら考えたって正解はないし、答えも結局わからずじまいなのはわかっているのに、考えずにはいられません。しかしこの際「A」のことは置いておきたいのです。テレビ誌の表紙も飾ることだし、もう大人の中でなにかしらは決まっているのでしょう。私が気になるのは「H」のことです。

 無所、と呼ばれるJr.たちの行く末を、私は案じずにはいられません。この前までシンメだったあの子とあの子が、あれれ、バラバラに?なんてことはよくある話です。シンメだと思っていた片方が突如としてユニットに組み込まれ、取り残された片方は、無所となる。萩谷くんと安井くんも「バカレア組」にシンメだと思っていた片割れを取られた無所Jr.である、と私は感じています。

 『私立バカレア高校』が放送されたのは2012年4月。出演するJr.が「バカレア組」と呼ばれ始め、少クラでもそのくくりで歌を披露するようになり、アイドル誌上でもこのメンツでの企画が増えていきました。それは2015年のいまでも変わりません。アイドル誌上で「バカレア組」というワードは使われなくなったものの、この組み合わせでの企画ページはまだまだ継続しており、2015年カレンダーにおいてもいわゆる「A」の次に取り上げられていたように感じます。少クラでも、もはや年季の入った息の合ったパフォーマンスを繰り広げていて、「バカレア組」の完成度の高さがうかがい知れます。そしてこのクリエでもバカレア組は「C」に位置しています。

 それまで、安井くんのシンメは京本くんであり、萩谷くんのシンメは樹くんでした。京本くんも樹くんも、バカレアに出演し「バカレア組」で活動することが増えました。Jr.内のシンメの組み合わせなんて、その時々で違うことは多々あるのは知っています。しかし、さまざまな組み合わせでステージに立つなかで、見ている側も、たぶんやっているJr.たちも、手ごたえを感じる組み合わせがあって、おそらくそれがシンメというものなのだと思います。お互いのシンメを「バカレア組」に取られた萩谷くんと安井くんは2012年ごろから急速にシンメとして同じステージに立つことが増えていきました。これが偶然なのか、誰かが意図してのことなのか、私にはわかりません。同じ傷を持つ者同士、というのはあまりにもきれいごとかもしれませんが、”あまりもの”だったふたりがシンメになった、というのはとても美しい話だなあと思います。ふたりのシンメのかたちが、その他のシンメと違うように感じるのも、このせいではないかと思います。ダンスの立ち位置的にたまたまシンメになった、とか、デビューするためにシンメでいる、という利害関係ではなく、せっかくふたりでいられるんだからふたりでいよう、みたいな寄り添う感じのシンメに思えるのです。

 安井くんは2007年夏ごろ、萩谷くんは2007年12月にそれぞれ入所しています。入所して5年ほどが経ち、それぞれJr.として成長期に差し掛かった時に、シンメを取られてしまったふたりで組んだシンメ。尊いなあと思うわけです。2013年のキスマイのドーム公演のバックではばっちりシンメ位置でステージに立ち、2014年春には「SHARK 2nd Season」にふたりそろって同じバンドのメンバー役で出演します。そんなふたりのシンメを確定的なものにしたのは、2014年の舞台「オーシャンズ11」ではないでしょうか。外部舞台で兄弟役を演じたふたりは、きっとお互いに自分たちがふたりでいる意味を考えざるを得なかったはずです。

 安井くんに関しては、2014年に始まったガムシャラでのMC的立ち位置がすっかり板についてきて、学業優先なのかなかなか表に出てこない萩谷くんを差し置いて雑誌でも地上波でもバンバン露出するようになりました。もちろん萩谷くんがいないとき、違う誰かが安井くんの隣に立ちます。それでもふたりのなかに、確実にゆるぎない「シンメ」という共通概念が存在していて、だからこそ2015年2月のガムシャラJ's Partyでは、ふたりきりのキスウマイを披露してくれたんじゃないかと思います。

 こんなに尊いシンメだけれど、彼らにはユニット名はありません。所詮、無所Jr.で、いつまたバラバラになってしまうかわかりません。急激にMC力をつける安井くんには、CDデビューじゃない、他の道が待っているかもしれません。一方の萩谷くんはまだ大学一年生で、これから先もジャニーズという道を歩み続ける保障はないわけです。それでも、私は、このふたりに離れて欲しくないと思うのです。だってふたりがふたりでいたいって思ってるのがなんか伝わってくるから!安井くんはなんでもできるJr.のスーパースターだから、萩谷くんはなにがなんでもその手を離すんじゃないぞ、と思っています。でもなんとなく、安井くんもきっとはぎちゃんが最後のシンメだって思ってるんじゃないか、とも感じるわけで。まあ私の都合のいい解釈というか妄想にすぎないかもしれないんですが。

 ジャニーズにおけるCDデビューは、大きな意味を持ちます。大きな経済効果を伴う事象であり、第三者的視点から見ても大きな芸能トピックです。今年は四年に一度のワールドカップバレー開催の年であり、例年の慣習であれば、なにかしらの新しいグループがCDデビューを果たす年です。いまそこに一番近いのはもちろん「A」の子たちでしょう。もしかすると、クリエのアルファベット順は、そこへの並び順なのかもしれません。名前のない「H」の子たちは、そう考えると8番目です。

 来年もジャニ―ズ銀座があるとして、はたして萩谷くんと安井くんは同じステージに立っているのか、どこにも確証がないことが切なくなるくらい、私は萩安というシンメが好きです。どうかいつまでもふたりでいてほしい。いなくならないでほしい。もしデビューの順番がやってきたとき、どうか隣同士でいてほしい。そればっかりを願ってます。

 

銀テープを掴む日まで

去る2月21日、六本木EXシアターにて行われた「ガムシャラ J's Party!! Vol.8」

トリプルアンコのあと、目に見えない銀テープが降ってきました。あの日、あの場所にいた観客全員がいろんな思いを抱きながらあの銀テープを見ていたと思います。Jr.ちゃんたちが、きゃっきゃとはしゃぎながら、自分たちで効果音をつけながら、飛ばした目に見えない銀テープ。手を伸ばしても取れないそれの儚さったらない。しんみりする私をよそに、安井くんは「いつか銀テ降らせるから!」と高らかに、そして極めて明るい声色で宣言して舞台袖に捌けていきました。

「デビューは就職だ」と重岡くんは言いました。Jr.ちゃん達は未来が約束されていない状態で必死に、それこそがむしゃらに自分をアピールします。俺を好きになれ!と言わんばかりにパフォーマンスを見せつけます。その暑苦しい熱量は、ステージ上で昇華され、キラキラまぶしい何かに代わり、オタクの目に、ハートに、ぐさぐさ刺さります。あの日の六本木もまさしくそんな現場だったように思います。

うちわ禁止という前代未聞の措置が取られた最終日の2公演。真相は闇の中ですが「しょげてるかと思った」と話したみゅーとに思わず鼻で笑ってしまうくらいには、オタクたちは元気でした。吹っ切れた、という言葉が合うかもしれません。公演前に影マイクで「うちわを使わないでね」と呼びかけた安井くんが「嫌われちゃうんじゃないかと思った」と心配したのも無意味なくらいに、オタクたちはその状況を受け入れ、楽しみました。うちわというジャニーズ独特のコミュニケーションツールを無くしたおかげで、オタクたちのファンサ欲求が必然的にフラットになり、余計なことを考えずに目の前のアイドルたちを楽しめたこと、そしてJr.ちゃんたちも、普段はうちわに向けて行えばよかったパフォーマンスをここにいる全員に対して届けなければ!と、必死さに拍車がかかり、相乗効果で会場のボルテージがぐんぐん上昇していきました。バンド形態のコンサートであったことも、あそこまで熱狂的な空間を作り出したひとつの要因であると思います。とにかく、あの場にいる全員が「楽しい!なにこれ!?」と感じたのではないでしょうか。「よくわかんないけどちょー楽しい!!」という一種のトランス状態にあの空間全体が陥っていたのだと思います。

 そんな状態の会場が、通常アンコで収まるわけもなく。あれよあれよと再びステージに戻ってきたJr.ちゃんたちは、どこにそんな力が有り余っていたの?というくらいに全力でキラキラと輝きを増したパフォーマンスを繰り広げ、私たちもただただそのキラキラを享受しながら、彼らの熱量に応えるように、うちわではなく、京本くん(またの名をロック先生)が提唱したロックポーズを突き上げました。夜公演でトリプルアンコのBAD BOYSをやりきったあと、ドラムセットから立ち上がって、ふらふらと階段を下りて、がくっと膝から崩れ落ちた萩谷くん。それを支えるように萩谷くんの小脇を抱えた後藤くん。ようやく全員が横一列に並んで、口々に「楽しかった、みんなすごかったよ!ねえ!」と無邪気に今の気持ちを呟いていました。そこで「あれ、やりたくない?」と安井くんが呟きます。アレ、とはコンサートの最後、「俺たちは~?」の掛け声のあとに会場全体でユニット名をつづける、アレ。昼公演では「俺らってなんなの?」と至極当然の疑問があがり、でもすぐさま「ジャニーズJr.だろ!」と答えが返ってきました。彼らにはユニット名なんてありません。このメンツでこの演目を再びやることも、(おそらく)二度とありません。彼らはただ、ジャニーズJr.として確実性のないゴールを目指すという共通項しか持ち合わせていません。それでも、それを超越した達成感や団結感、満足感が彼らのなかに存在していたのだと思います。もちろん会場にいたオタクたちの心にも、存在していたはずです。よし、と手をつないだ彼ら。

「俺たちは~?」\ジャニーズじゅにあ~!!/

この儚さと尊さだけは一生覚えていなければならない!と胸が締め付けられる思いでした。そして、冒頭に戻ります。見えない銀テープを、彼らは飛ばしたのです。今思い出してもぎゅっと胸を締め付けられる光景ですが、記憶のなかの彼らは無邪気でひたすらに楽しそうで、ただただ笑顔でした。夜公演でこのくだりをやったあと「ジャニーズJr.でよかった!」と心からの笑顔で話す彼らに、デビューの約束のない未来への憂いなんて1ミリもありませんでした。感じさせないように明るくふるまったのかもしれませんが、どちらにせよ泣けました。

「銀テープを降らせる」具体的なようで実は曖昧な表現であると冷静になってみて思います。デビューをせずともソロコンを行い、銀テープを降らせたグループはこれまでにもいたからです。でも安井くんが言った銀テープには、デビューという言葉がにじんでいた、と私は信じたいです。23歳、大学進学という選択肢を捨ててジャニーズの道を全うする安井くんが幸せになれない世の中なんて間違ってると割と本気で思う。いつか、安井くんが降らせる銀テープを掴むその日まで、この日のことを忘れないために、記しておきました。安井くんをはじめとする、ジャニーズJr.戦国時代を生き抜く彼らの銀テープを掴む日まで、オタクはやめられません。