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無意識のあざとさ~TVガイドPERSONの感想文にかえて~

 

 私はジャニーズというどこまでも営利的なのに情緒あふれるアイドル集団がとにかく好きだ。ジャニーズを愛する人たちのなかには「担当」という制度がある。それにのっとると、私は北山宏光を担当としている。他のジャニーズアイドルに沸くことは多々あれど、ここが揺らぐことは今のところない(つもりです)

tvguide-person.zasshi.tv

  北山くん目当てでこの雑誌を購入した。歌舞伎を見て、というより、北山くんを好きになってずっと感じていたことに言及されていたので、ちょっと文字にしてみようと思う。

 

 『無意識のあざとさ』という言葉は、歌舞伎の感想をまとめながらふと思いついた言葉だ。『無意識』と『あざとさ』は一見すると、相反するものであり、両立しないと思っている。意識的にするからあざといのであって、普通は無意識では行わないからだ。しかし、北山くんにおいては、この二つがぴったりと揃っていると思っている。無意識で、あざとい。それが北山宏光という人間であると思っている。

 そもそも『あざとい』という言葉は、批判的な意味を持つものである。

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 それが最近になっては「〇〇の笑顔ってほんとあざとい!かわいい!」という風に使われて、何となく一周回って褒めているようなニュアンスを含む言葉に変化している気がする。かくいう私もよく『あざとい』を使う。私の場合、悔しさがにじむときによく使用している。かわいすぎて腹が立つ、とかかっこよすぎて腹が立つ、みたいなとき。そしてそれは総じて、その対象が、意識的にそんな顔をしているパターンが多い。いわゆる『かわいこぶってる』『ぶりっこしてる』『キメてる』ときである。抜け目なく貪欲に可愛さをアピールするアイドルは、どこまでも正しく、仕事に真面目である。

 しかし私が北山くんに対して使う『あざとい』はちょっとニュアンスが違う。もちろん前述の感覚で使うこともある。「なんだよその顔~!あざといな!」と狙ってそういうヲタク心をくすぐる表情をしていると感じる時もある。しかし、そうでないときのほうが圧倒的に多い。例を挙げると、(滝沢歌舞伎2015を見ていない方には申し訳ないのだが)書道の演目の時、大きな半紙の上をぐるりと紙を睨み付けるように歩いていたときの表情。これこそ『無意識のあざとさ』を感じる表情だった。誰もがビックリするくらいカッコつけてるくせに本人が無自覚・無意識なのが『あざとい』のだ。この半紙を睨み付けるように歩く北山くんの写真を100人に見せたら100人が「カッコつけてる」と言うだろう。でも、きっと本人は別にカッコつけてるつもりはない(と思う。)北山くんに関してはこういうことが多々ある。コンサート映像を見ていても、スパっと抜かれたワンカットが異様に決まっていたりするのに、そこにわざとらしさや狙いすました感じがないのだ。立っているだけで、そこに存在しているだけで、本人がたとえ意識しなくても、カッコイイ。いちヲタクの自担への盲目的な愛に過ぎないと言ってしまえばそこまでだが、私はずっとこういう印象をもって北山くんを見ていた。

 そんなことを思っていると、欲しい言葉をほらよ、とくれるのが北山宏光というアイドルである。

――(略)普段から自然体っていうことなんでしょうね。

北山「このままだからね、俺。作っても絶対見抜かれると思うし、万が一見抜かれなくても何かの瞬間にボロが出たら崩壊するでしょ?(中略)結局、カッコよさってにじみ出るものだから、作ったカッコよさからは何も出てこないと思うんだよね。ナチュラルにいて、何でもできれば、それが一番カッコいいし。」*1

 ほらきたー!!!私の感覚間違ってなかったー!!!と思うと同時に、ずんと胸にきた。結局のところ、『無意識』ではなかった。きちんと明確な意思があっての『無意識』だったのだ。やっぱり『あざとい』。彼はどこまでもアイドルだ。ただただワーキャー言われるだけで満足しない、職業としてアイドルを突き詰めているひとりの大人だと思った。だから私は北山くんをもはや人として尊敬してしまっているのだな、と気付かされた。重い。こんなんだから本人に「俺のファンはねっとりしてる」などと言われるのだ。なんならライトでいたい。きゃぴきゃぴアイドルやっててくれたらこっちだってライトに好きでいられるのだが、いかんせん本人がガッチガチにビジョンを決めて(しかもそれをほとんど表面には露出させずに)職業・アイドルを突き詰めているので、重くならざるを得ない。だからねっとりしているのはあなたのせいですよ、と言いたい。我々のせいではない。

 『デビューする時にカッコつけるのをやめた』と北山くんはインタビューで話している。以前、滝CHANnelでも、北山くんは以下のように話している。

北山「(デビューを機にそれまでのいわゆるセクシー路線を藤ヶ谷に渡して)昔からのファンの子って『あれ?そんな感じ?』って思ってると思う」

滝沢「あーなるほどね」

北山「いまからつくファンの子たちは今の等身大(の俺を)分かってると思うけど、」

滝沢「おちゃらける北山」

北山「そうそうそう、でも昔からのファンの人たちって『ああそっち行っちゃったんだ』みたいな」

滝沢「『あれ?カッコイイ北山くんじゃない』と」

北山「そのファンの子の気持ちを考えると本当に心が痛い」*2

 私はここでいう『いまからつくファンの子たち』であり、『等身大』の彼を分かって好きになった。でも、ジャニヲタの登竜門である過去映像探索のたびにぎらぎらした北山くんが恋しくなってしまう。でも彼はあの頃の自分をカッコつけていた、という。アイドルなんだからカッコつけてなんぼだろう、とも思うが、彼にとってそれは上に登り詰めていくために必要な戦略のひとつだったのだろう。 デビューという一つの目標を勝ち取った瞬間に、カッコつけることをポイっと捨ててしまえるくらいに、カッコつけるということは彼にとって自分をアピールする手段でしかなかったのだ。

 こんなふうにほめたたえていると、まるで北山くんが完璧なアイドルのように見えてくるが、決してそんなことはないと思う。バラエティ番組でたまにとんちきな発言をするたびに目をそらしてしまうし、はしゃいじゃって周りが見えなくなって暴走しちゃってるな、と思うことも多々ある。でも、そういうところがあるからこそ、ああまだ手探りなんだな、と感じて応援したくなる。いつかそういうところが克服されて、北山くんのなりたい北山宏光になったときの姿を、この目で見てみたい、と思わせてくれる。応援するアイドルとして、北山宏光ほどの好物件はないのではないか。

 少し話は脱線したが、無自覚であふれ出るカッコよさを求めて、それを実際に体現している北山くんは、やっぱりあざといと思う。ずるい。北山くんがカッコつけているつもりはなくても、北山くんが意図したとおりに我々にはカッコよく映っている。北山宏光の思うツボだ。あざといの意味は『抜け目がなく貪欲』。まさしく北山宏光を表す言葉ではないだろうか。そして彼はそれを『無意識』にやってのけるから、私はいつも身構えることができなくて、不意打ちのように現れるカッコいい北山くんに撃ち抜かれてしまうのだ。

 北山宏光は『あざとい』。

 

*1:TVガイドPERSON VOL.34 p.36

*2:滝CHANnel  第136回2014年12月19日放送