おにぎり握るように愛してくれない?

キラキラした男の子達のこと

2016.12.26

 

仕事から帰ってきてスマスマの最終回を見た。

小学生のとき、はやく寝なさいと言われながらこっそりスマスマを見た。

高校生のとき、塾から帰ってきてご飯を食べながらスマスマを見た。

私が生まれてからずっと、SMAPはテレビのなかにいた。

月曜10時、テレビの前でスマスマを楽しみにしていたガキんちょが、

今では自分でお金を稼いで一人暮らしをしている。

ひとりの人間が成長して大人になるくらいの長い間、スマスマは続いて、

その中のSMAPはずっと変わらずにおもしろくてカッコいい人たちだった。

私がSMAPを好きになったのは、SMAPがテレビの中のアイドルだったからだ。

テレビだけが楽しみだった超テレビっ子の私にとって、

歌って踊れて面白いSMAPは、アイドルというよりスーパーマンだった。

 

社会人になってからジャニヲタと呼ばれる部類の人間になり、

アイドルというものに触れて思ったことは、

大きく羽ばたくアイドルには歴史(ヒストリー)が必要なのだということだ。

それがたとえ作為的であろうとも、あまりに残酷なものであろうとも、

人々の胸を打つための手段となり得る歴史はなければならないと私は思っている。

この持論にのっとれば、SMAPの今回の終焉も単なる歴史のヒトコマに過ぎない。

真っ白な緞帳が下りて、ひとつの区切りが引かれたことは

受け入れなければならない現実だ。

でも、これから先、SMAPがこの世の中から完全に忘れ去られることはあり得ない。

記録と記憶は永遠に後世に残っていく。

そして5人が芸能人でいるかぎり、彼らからSMAPという看板は剝がれない。

これまで彼らが築き上げた歴史がそんなことをさせてくれるはずがないからだ。

これから先もSMAPは終わらない。

またいつか、5人で並んで歌う姿が見たい。

諦めるわけではないけど、それが無理なら、いつかみんなで思い出話をしてほしい。

それすらも無理なら、せめてひとりひとりが思い出を

聞かせてくれる未来だけは許してほしい。

SMAPを封印しないで欲しい。

SMAPを彼らから奪わないで欲しい。

 

始まったら終わる、それが世の常ならば

SMAPはそんな理も乗り越えていってしまえると私は信じている。

だっていろんなものを変えてきた彼らだから。

SMAPは終わらない。

私はずっと待っている。